• ローソク 打敷 鶴亀
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    仏様に供えるご飯のことをなんと言いますか。

    お仏飯、お仏供、お仏供さんなどと言います。

    お仏供は仏様が食べられるのですか。

    皆さんご存じのようにお内仏は、お浄土を形どって造られています。
    お浄土の主である仏様が中央におられるわけです。
    さて、お浄土は、苦しみの無い世界と言われます。そうなりますと、
    お腹がすくと言うことも無いことになります。
    ですから、私たちの世界のご飯を捧げたとて、仏様は、食べられることはないのです。

    では、どうしてお仏供を供えるのですか。

    これは、仏華を供えるのに似ています。
    仏華は、仏様の方ではなく私たちに向けてたてられます。
    つまり、仏様の心を私たちの最高の心で表し、仏と共にあることを喜びます。
    お仏供も、仏華同様、私たちの主食であるお米を供えて、この世に生かされていることを喜ぶのです。
    これで、仏の命を生きていることを喜ぶのです。

    お仏供はいつ供えますか。

    朝のおつとめの後に上げます。
    朝のおつとめは、朝食前に行います。
    ですから、一番のご飯を盛り、一番におつとめをして、お仏供を供えることになります。

    お仏供は何処に供えますか。

    お仏供は、ご本尊とお脇掛の前に供えます。
    よく見かけますが、位牌の前にはお仏供は必要ありません。
    また、ご本尊が木像ならば一対(二本)、絵像ならば一本、名号ならば必要ありません。
    お脇掛の場合も同様に絵像ならば一本、名号(十字、九字名号)ならば必要ありません。
    その謂れについてははっきりしない点がありますが、かつては木像は寺院で敬い、絵像や名号は在家の床の間に敬ったことに端を発すると思われます。
    在家では、絵像を床の間に飾り一本のお仏供を大切に供えたのが伺われます。
    また、名号は、言葉にまでなってこられた仏様です。私たちの常の生活に生きているはずです。もちろんお仏供はいりません。

    仏供は下げたらどうしますか。

    お寺で頂く食事のことを、「お斎」と言うのを聞いたことがあると思います。
    昔、修行僧が、昼に食事をとり、午後には食事をとらないのが一般的でした。この習慣を「お斎」と言いました。
    現在、お寺での「お斎」は、お仏供を頂くことになっています(難しい場合もある)。
    皆さんの家でも、お仏供は、お斎として、昼に頂きましょう。

    お仏供となまくさものを一緒に食べてもよいのでしょうか。

    これは、よく聞かれる質問です。
    私の経験でも、同朋会館での食事に、なまくさものが入っていて、クレームが出たことがあります。
    さて、結論から言いますと、なまくさものをその時だけ避けるのは不自然であるでしょう。
    日常生活で、なまくさものを避けて通る人は希だと思います。
    親鸞聖人が、肉食妻帯をしたのも、現実とかけ離れている生活に、疑問を感じたからと言えるのかも知れません。

    では、生き物を殺して、自らの生を保つことが良いことなのでしょうか。

    良いとは言えないでしょう。 誰しも、生き物の生命が奪われるとき、こうして生きて行くしかない、自身の命の罪深さを思います。
    ドイツの中には、自分の家で大切に飼っていた家畜を食べる地方があるそうです。この地方の人たちは、家畜の肉をどれも無駄にしないそうです。
    私たち仏教徒においても、生き物のことを、私たちの命を育む諸仏と感じ、仏の命を頂くように、「いただきます」といいます。
    近年、生き物の命とかけ離れた生活をしていますが、日常の生活にもこうした宗教観をもつ必要があるのではないでしょうか。